増井弘海堂
明治~大正と弘法大使を信仰していた増井潤造が、漢方薬の店を営んだのが始まりです。増井勇作が屋号を引き継ぎ、大正十三年(一九二四年)「おぼろ昆布」の製造販売の店を氣比神宮参道(現在の敦賀市神楽町一丁目)に開店。昭和二十年(一九四五年)、戦災で店舗・工場を焼失し、約二年間、敦賀市蓬莱町の仮店舗・仮工場で営業することとなるも、昭和二十二年( 一九四七年 )に元の地「神楽」(現在地)に店舗・工場を再建。「おぼろ昆布」に加えて「とろろ昆布」にも力を入れていきました。本業の他にも氣比神宮の氏子であった勇作は、神宮のご奉仕にも熱心でした。
〒914-0063 福井県敦賀市神楽町1丁目1−12
電話: 0770-22-1051
天清酒万寿店
江戸中期から氣比神宮参道(現在地)で代々天屋清治郎(てんやせいじろう)を名乗り貸本業を営んでおりました。天保初年(一八三〇年)頃の当主が酒まんじゅうの製法を伝授され、店名を屋号より一字、名より一字取り「 天清(てんせ)」と命名し、貸本業のかたわら酒まんじゅう屋を開業したと伝え聞いております。以後七代にわたり、酒粕や日本酒を加えない古法の自家仕込み酒種を使った酒まんじゅうの製法を大切に守り、敦賀の伝統銘菓「天清の酒万寿」として今日に至っております。時代の流れのなかで、今では敦賀で酒まんじゅうを作り続けているのは当店だけとなりました。
〒914-0063 福井県敦賀市神楽町1丁目4−9
電話: 0770-22-0296
奥井海生堂
明治四年(一八七一年)、初代・旧士族、奥井半吾が「御昆布司 奥井海生堂」を創業しました。北前船交易で栄える敦賀港に荷揚げされる昆布を取扱い、明治中期大本山永平寺御用達の御許可を賜りました。氣比神宮参道の神楽商店街に店舗を構え、当時としては珍しい木造三階建の建物で、多くの住み込み昆布職人を抱えながら、店頭や敦賀駅頭で手すきおぼろ昆布や昆布菓子、豆らくがんの販売を始めました。奥井海生堂ののれんを守り、令和三年に創業百五十年を迎えました。天然利尻昆布を専用蔵で寝かせ熟成させる「蔵囲昆布」の伝統を今も守り続けています。
〒914-0063 福井県敦賀市神楽町1丁目4−10
電話: 0770-22-0385
小堀日之出堂
明治三十四年(一九〇一年)、初代、小堀利三郎が氣比神宮前絵に和菓子店を開店。県内洋菓子店の先駆けとして、和菓子職人を対象とした洋菓子の講習会の実施や、県内初のクリスマスケーキの販売、市内初のカフェ開業など、、、、地域の菓子製造販売業を牽引してきました。また、敦賀の夏の風物詩「水仙まんじゅう」の発祥店としては、現存する唯一の店です。他にも東浦みかんを使用した「敦賀ふわっせ」や、ユダヤの伝統銘菓と敦賀港のエピソードを掛け合わせた「絆・幸せのルガラー」など、敦賀の文化や歴史を、お菓子を通して発信しています。
〒914-0063 福井県敦賀市神楽町1丁目2−39電話: 0770-21-0141
ホテヤ洋品店
大正時代に、初代の中山兵吉が現在の場所において仕立て屋として開業したのが始まりです。人々を満ち足りた気持ちにさせる不思議な力をもっていたという七福神の布袋(ほてい)さんにあやかり、店名を「ほていや」と命名しました。その後は、「ホテヤ洋品店」として婦人服、紳士服、子供服、学生服など幅広い年代の衣料品を販売するようになり、質の良いハイカラな洋服を並べていたことから、地域密着型のデパートのような存在として地元の皆様から愛されてきました。現在もファッションを通して、お客様の心が満ち足りて笑顔になることを大切にしています。
〒914-0063 福井県敦賀市神楽町1丁目4−21電話: 0770-22-0878
おりや
天保年間の屋号、織屋千代蔵から店名をとり、明治三六年(一九○三年)、初代、吉田歌三が氣比神宮の門前町に呉服店を創業。伝統的な老舗百貨店の起源は江戸時代の呉服商をルーツとしておりますが、初代も当時は呉服の他に手広く事業を興し、また各番頭に地域を分担し、のれん分けするなど商いに励んでいたようです。戦時中は店を閉める事が多かった中も、中断する事なく営業をしておりました。現在まで、ひとつひとつのご縁に 支えられながら歴史を紡ぎ、本筋の着物、和文化をとおして日本古来の生活文化情報を発信、歴史を刻み続けています。
〒914-0063 福井県敦賀市神楽町1丁目4−20電話: 0770-22-0634
ビューティーしまだ
ビューティーしまだは、島田恵美子が昭和五一年(一九七六年)に創業した化粧品店です。敏感肌であった島田恵美子がやっと出会った化粧品がアルビオン化粧品でした。それをもっと多くの人たちに広めたいと考えて訪問販売からスタートしたのが始まりです。その後「島田化粧品店」として敦賀で最初のアルビオン化粧品の店舗を本町に構え、昭和五六年に現在の店である神楽町一丁目商店街に移転しました。そこから数多くの女性に愛され続け、神楽町一丁目商店街では唯一の化粧品店として営業しています。
〒914-0063 福井県敦賀市神楽町1丁目4−16電話: 0770-23-5333
木原紙店
明治三〇年(一八九七年)に、初代、木原重太郎が英領カナダ・バンクーバー市で創業しました。明治四二年(一九〇九年)に敦賀の大内(現元町)にて日用紙をはじめとする紙製品を販売する店を構えました。戦災により、店や倉庫は全焼しましたが、昭和二三年 (一九四八年)に神楽に移転、五〇年近くの間、学童用の文房具や事務用品などの販売を通して、地域の方々からご愛顧頂くようになりました。創業百二十五年を迎えた現在は「株式会社キハラ」として木崎にて営業を行っています。現在この場所は、「株式会社リハぷらす」が地域看護の拠点として営業しています。
〒914-0054 福井県敦賀市白銀町10−15電話:0770-22-2039
中道源蔵茶舗
安政六年( 一八六〇年 )に金ヶ崎駅前に 創業した中道運送店がはじまりです。運送業という商売柄、敦賀で初めて自動車を持ったとも伝え聞いています。当店のお茶屋の原点は、 第二次世界大戦後に中道源蔵の次男であった正一が自身で商売を始めるにあたり、本屋かお茶屋かで思案した末、昭和二二年(一九四七年)に日本茶専門店「お茶の清香園」を創業したことです。以降、氣比神宮参道である現在の場所に店舗を 構え、今も昔も人が行き交うお店でありたいという思いを引き継ぎながら 、この敦賀の地で商いをしています。
〒914-0063 福井県敦賀市神楽町1丁目1−8
電話: 0770-22-4507
駄菓子屋のんのん
梶野吉兵衛(屋号を吉兵衛)が現在の場所で鍛冶屋を営んだのがはじまりです。明治に入ると鍛冶屋の需要が減ったことで、梶野喜太郎が傘屋へと事業を変えました。昭和の戦災により焼失した傘屋の店舗を梶野清が再建し、その後、清の長男である梶野伸一が傘屋を引き継ぎましたが、時代の変化に伴いファンシーショップへと事業を変えました。平成十九年には清の長女である今井乃ぶ代が営んでいた駄菓子屋「夢HOUSE乃ん乃ん」を移転させ、子ども達に人気のお店となっていました。現在は「駄菓子屋のんのん」として新たな事業者へと引き継がれています。
〒914-0063 福井県敦賀市神楽町1丁目4−15
電話:0770-23-8015
ねむりのサロンBlue Moon
天保生まれであった尾野和吉が古物商、道具店を営んだのがはじまりです。昭和二十年の戦災により店舗を焼失したことで、古物商時代に下駄、草履を卸していた経験から下駄屋へと事業を変えました。その後、下駄屋をしまい、貸店舗として事務所やブティック、芭蕉の資料館など様々なお店が営業しました。 現在は、表側がコワーキング、シェアオフィスの縁人として、沢山の方の働く場所となり、裏側の住居だった場所は、土間や居間を古の懐かしい雰囲気を保ちつつお客様に寛いでいただける空間へと改装し、「ねむりのサロン ブルームーン」を営んでいます。
〒914-0063 福井県敦賀市神楽町1丁目4−8
電話: 090-2129-5204
寝創館タニグチ
初代 谷口与治兵衛が、昭和二九年(一九五四年)に自身が所有していた福井県河野郡赤萩の山や田畑を売り、それを元手に「ふとんの谷口」を開業したのがはじまりです。当初はリヤカーに商品を積んで各集落を回り、積立金を毎月預かって運営する「ふとん講」を商いとしたそうです。その後、現在の神楽町に店舗を構え、地域の各家庭に気持ち良い眠りを届けてきました。現在は生活スタイルの変化も進み、地域のふとん店も減りましたが、当店は貸し布団、打ち直し、羽毛リフォーム、ふとん丸洗いなど、お客様の変化に合わせた商いを心がけています。
〒914-0063 福井県敦賀市神楽町1丁目2−28電話:0770-22-1334
浄土宗 天筒山 善妙寺
当寺のもとは氣比神宮寺中の釈迦寺で、正元元年(一二五九年)に天皇縁の空覺上人により浄土宗天筒山善妙寺を開山されたのがはじまりです。以後、守護の斯波義将や朝倉氏より安堵された寺領は二十四町歩(約二十四ヘクタール)と云われています。昭和初期の頃は現在の本町一丁目の名子呉服店辺りまでが当寺の敷地で、絵描きなども住まう厨や鐘撞堂、長い参道も敷地内にあったそうです。最近では、氣比神宮の神宮寺に由来する六 カ寺をはじめ商店街や市民、高校生の方たちと角鹿会(かくろくかい)を発足し、敦賀市の活性化の為に勉強会などの活動も行っています。
〒914-0063 福井県敦賀市神楽町1丁目2−14電話: 0770-22-1471
スポーツコバヤシ
初代 小林利蔵が、昭和二六年(一九五一年)にスポーツ用品と文房具を販売する「小林商店」を開業したのがはじまりです。利蔵は、元々プロ野球選手として名古屋金鯱(現在の中日ドラゴンズ)で活躍しており、現役引退後に地元敦賀へ戻り、スポーツ用品、文房具の販売を中心に冬にはスキーも販売していました。昭和五七年(一九八二年)に二代目の利一が、店名を「スポーツ小林」とし、スポーツ用品のみの販売に変え、特に野球関連に力を入れました。これまでに市内の高校からもプロ野球で活躍する選手が出ており、スポーツ用品の販売を通して、様々な選手の応援をしています。
〒914-0063 福井県敦賀市神楽町1丁目3−23電話:0770-22-0204
おもや鮮魚店
天保の頃(一八四○年頃)がはじまりで、戦前は現在の栄新町で敦賀湾に入港する船の食料等を納入する商売をはじめとし、氣比神宮での結婚式の後の披露宴にも料理を納入していたと伝え聞いています。戦後は、現在の神楽町の場所に移転し、料理屋や寿司屋を中心に敦賀港で水揚げされた魚の卸しを営むようになりました。近年は天然魚の漁獲量が年々減ってきてはいますが、現在も天然物に拘り、料理屋、寿司屋をはじめ、一般のご家庭まで、多くのお客様に敦賀港で水揚げされた鮮度抜群の魚をお届けできるような商売を心がけています。
〒914-0063 福井県敦賀市神楽町1丁目3−14電話: 0770-22-0384